私のうつ病への考え方

うつ病とは一体何か。これまで精神医学、心理学、あるいは社会学など、ありとあらゆる方向からうつ病は研究されてきた。しかし今回着目したいのは、うつ病自体のメカニズムや理論ではなく、実際にうつ病になるということはどういうことを意味するのか、そこにある苦しみとは何かについてである。

まず、初めに明らかにしておきたいのは、自分自身や家族がうつ病である等、うつ病の実際を目の当たりにしたことがある人と、そうでない人の間に、うつ病に対して大きな認識の違いがあるということである。

うつ病は、よく”心の風邪”と表現される。これは、誰にでもなりうる可能性があることや、きちんと治るものだという印象を与えるために世に放たれた言葉であろう。しかしここに罠があると私は考える。

”心の風邪”という表現と共に、本当にうつ病は万人のものになったか。むしろ言葉が一人歩きし、うつ病についての経験や知識、ひいては興味も無い人々にとって、うつ病は少し休めば治るもので、その後の人生を阻む落石にはならないのだ、という根拠のない楽観的な見方を植え付けることになってはいまいか。

ここでさらに根本的な質問を投げかけたい。心の風邪、心が痛む、心残り等、私たちがいつも曖昧にしかし一様のイメージを持って捉える”心”とは何か。当たり前のことではあるが、心という臓器があるわけではない。私たちにあるのは、知覚する器官と、生命を生命たらしめる心臓、そして感情やあらゆる行動の司令部である脳である。つまり心とは、身体そのものであり、うつ病において引き起こされる心の不調は、身体の不調と言えるのである。

心が弱い、という言葉はどう考えられるか。うつ病なると、しばしば心が弱いのではないかという発想にたどり着く。心が弱いという言葉で表現される時、大半の人間が生活を送る上で跳ね返せるストレスに対して過剰に反応してしまう状態を指すことが多い。そうであるなら、心が弱いとされる身体反応はむしろ、定型よりも強い知覚をしている状態と言い換えられるのではないか。

このように分析していく中で、うつ病の苦しみや悩みは、うつ病における症状自体の苦しみだけのことを指しているわけではないことがわかってくる。うつ病になるということが生み出す余波、つまり社会の、家族の、更には自分自身のうつ病への誤解が、うつ病の苦しみや悩みを複雑化し、強化させていってしまうのである。

ではうつ病をどう理解することが正しいのか。かつてうつ病が”精神病”で片付けられ、あるいは”心の弱さ”と論点をずらされ、現代社会の中で新たに”心の風邪”として歪められた。これらの軸にあるのは、実際に起こっていることと、起こっていそうなイメージとの客観的区別が市民レベルで行われ得ないからだと指摘したい。数年遡るだけで、専門職に就いている者の中にも、この区別がない者がいたことは、うつ病の実際を知っている人なら思い当たることだろう。

別の例をあげて、もう一度風邪という表現について考え直したい。いわゆる”風邪”の場合、風邪であるという状態と、風邪であったという過去は、同じ意味を持たない。今まさに風邪をひいている人に対して、うつされたくないという気持ちが起こることはあっても、かつて風邪をひいたことのある人に対して嫌悪感やうつされるのではないかという偏見など持ちようがない。

ではうつ病はどうか。今まさにうつ病の人に対して、”心が弱い”、かわいそう、などといった偏った一方的な、しかも見下ろすような目線があり、社会復帰を果たしたとしても、かつてうつ病だった人に対してはその目線が消えることがない。この射抜くような目線は時に、社会から家族へ浸透し、最小の最高の信頼関係と安心感があるべき家庭からもうつ病に歪みのない目線を向ける機会を奪うのである。この連鎖は、うつ病と密接に絡み合っているのが現状であり、うつ病になった人たちはみな、一人きりでうつ病それ自体の症状の苦しみと、更に社会や家族から生み出される本来ならば必要のない悩みに首を絞められるのである。

このことが意味するのは、うつ病でなくなった自分が、イコールうつ病になる前の自分ではないということである。他者の知識不足による理不尽な眼差し、扱いによって、うつ病それ自体が破壊することのない未来まで、奪われる苦しみがそこにある。

風邪の例に戻ると、風邪にかかったとしても、風邪が治れば、それは風邪にかかる前のその人に戻ったとみなされる。両者にはあまりにも大きな違いがある。うつ病になったことで壊された未来があるならば、それはうつ病という身体の症状が起こしたことでも、”心の弱い人間”自身のせいでもない(そもそもそのような言葉で人間を定義することの無意味さはここまで指摘したとおりである)。うつ病の苦しみに伴う複雑な悩みは、社会が、あえて明確な言い方をすれば、私たち社会を構築する一人一人が生み出したものなのである。