先の見えないうつ病への不安と偏見を軽くしたい

“家庭環境や虐待めいたしつけの影響で小さい頃から情緒不安定なところがありましたが、病院でちゃんと診察を受けて「うつ病」と診断されたのは出産して1年ほど経った頃でした。出産直後から涙が止まらず、産んだばかりの自分の子供の顔すら見れなくて自己嫌悪になり病院で「死にたい」と言ったのがきっかけかもしれません。その当時は海外に住んでいましたが自分の母国ではない国での出産という事で神経が張りつめていたのかもしれません。その糸が切れたように私は毎日泣き続け、自分の子供と心中することばかり考えていました。今思えば産婦人科なり精神科なりを受診すれば良かったのですが、その頃には病院へ行き外国語を使って自分の状態を話すという気力が既に無く、毎日がこの世の終わりのような絶望の中で暮らしていました。

精神科の病院へ行くことが決まったのは結局帰国してからでした。精神状態が悪く普通の生活も送れなくなっていたのにもかかわらず私は帰国後すぐに病院へ行きませんでした。それは授乳をしていたので薬が飲めないと考えたからです。どう考えてもすぐに断乳して病院へ行き、薬を服用しなければならない状態でしたが、自分が悪い母親だと言われ続ける幻聴に苦しんでいた私は「授乳ぐらいしないともっと悪い母親になってしまう」と頑なに病院へ行くのを拒否していました。しかしその後もどんどんと状況が悪くなり、ついに自分の赤ちゃんを連れて失踪と心中未遂を起こした事で病院へ有無を言わさず連れて行かれカウンセリングと投薬治療が始まったのです。

私が精神科での治療を受け始めて今年で10年になります。

病院へ担ぎ込まれた頃に比べると精神状態はとても良くなったと言えますが、未だに精神的に健康とは言えない状態です。薬を飲んでいても調子が悪いと起き上がって動くことが出来ず、お風呂どころか洗顔や歯みがきもろくに出来ません。また幻聴も全て無くなったわけではなく、その日に会った人の声で自分のことを批難されたり悪口を言われたり追い詰められてしまう事もあります。

うつ病には完治というものが無いと聞きました。寛解という状態に戻ることは出来ても完全に治るという事は難しいのだそうです。自分の状態を考えても納得するところではありますが、先行きは見えないという事への不安をずっと感じています。薬を飲まずに生活することが出来ない現実に「私は死ぬまで薬を飲み続けないといけないのか」と考えると胸が苦しくなる事もあります。加えて不安なのが思うように働けないという点です。今は体の調子が良い時に家のパソコンで出来る小さな仕事をしていますが、稼げる金額は外へ働きに行くことに比べると本当に小さく経済的な心配をしています。私の場合は幸い夫が健康で働いているので私の稼げる金額が少なくても生活が出来ていますが、もし夫が病気などになり働けなくなった場合とてもじゃなく私の稼ぎでは生活を維持していくことが出来ません。極限の状態になってしまえばどうにかするしかなく外でも働く事になるのでしょうが、自分の精神状態の悪さを自覚しているので今のある程度落ち着いた状態から悪化した後の事を考えてしまうと、怖くてどうしようもない不安に襲われます。

そしてうつ病の患者は見た目だけでは分かり難いものです。私の場合は子供が学校へ通っているので町別の集まりや役員の会議などがあり、調子が悪くてもそこへ行かないといけません。自分がうつ病であると言えばいいのかもしれませんが皆にオープンに「私はうつ病なんです」と言うのもどうなんだろうという思いもあり、未だにそれは出来ていません。過呼吸の発作が出ることがあるので会議や参観日で学校に行くことにも不安を感じますが、自分の病状をどこまで言えばいいのか分からず毎回ヒヤヒヤしながら過ごしています。

家族は仲の良い友人じゃない場合、うつ病の事を相談するのはとても勇気が必要です。

どうしても話の内容が重く、聞く人に負担がかかるので気軽に自分の状態を話すということが出来ません。私の場合は幻聴などの症状があるので相談している時にその人から批判や悪口を言われている声を聞いてしまう事があって危ないし、冷静になれないので相談はしたいと思っていても今は諦めています。病院の先生やカウンセラーの先生とも相談することについて話したりもしますが、アドバイスはもらえても結局は自分で状況を見てどうするか決めることになるのでなかなか前進させることは難しいと思っています。

うつ病をオープンにしても昔ほど避けられることはなくなってきているのかもしれません。しかし働く場合や生活していく中で感じる不自由な事や差別的な出来事は少なくありません。うつ病や心の病と言うとどうしてもヤケを起こして人を襲ったり殺したりとイメージする人が多くて色々言われてしまう事があるのですが、ちゃんと薬を飲んで治療をすれば普通の人と変わらない生活が送れるということをよく知ってもらいたいと思っています。”

姉の義理母のうつ病について

姉の義理の母がうつ病を患ったのは今から5年ほど前です。
私もよく行き会っていましたが、家で商店を営んでいることもあり、気さくで、趣味の踊りなどに積極的に取り組んでいる活発な人でした。

それが年齢のせいか、足が痛いと言って何よりも楽しみにしていた踊りに行かなくなったのです。
それからはあっと言う間でした。
足が痛いから痩せなきゃ、と言い出しました。
元々体格もいいほうでしたが、太りすぎているというわけでもありません。
同じ年齢の人とならんでも、さほど気にならないくらいのふくよかさです。
それが食べちゃだめだから、と言って1年で10キロ以上も痩せてしまったのです。

高齢で痩せてしまったので、今までの血色の良かった表情も一変しました。
顔はしわが増え、目はぎょろりと常に人をにらみつけているようです。
そして何かにつけてネガティブなことばかり口にするようになりました。

すぐ近所に住んでいた姉は、顔を合わせるたびに浴びせられるネガティブ発言に、最初はぼやいていました。
話し出すと止まらないらしく、捕まったあとは良く私にぐちの電話をかけてきていました。

しかし、あまりにもおかしいと思ったのか、一度病院を受診した方がいいのではないかと家族に相談したのです。

他人よりも家族の方が意外と受け入れられないようで、姉の夫は最初受診を拒みました。
おそらくうつ病と病院で判明してしまうのが怖かったのかもしれません。
しかし、このままでは義理の母も私もどうにかなってしまいそう、と言って姉は強引に病院に予約を入れたのです。

結果はあまりにあっさりと判明しました。
「うつ病」です。
今はうつ病は治らない病気ではありません。
薬もあるし、病名さえわかれば治療の方法もあるのです。
姉はきちんと病名が分かったことに安堵していました。

ところが本人には「うつ病」と診断がくだったことが何よりもショックだったのです。
それからは「毎日辛い」「いっそ死んでしまいたい」「何とかしてくれ」と、今までよりもよりネガティブがことを口にするようになりました。

義理の母は姉夫婦の近所で旦那さんと二人暮らしです。
無口な旦那さんですが、自営なので人の出入りはあります。

姉の夫は長男と言うこともあり、母に面倒は自分が見なければ、と言う人です。
買い物や力仕事は手伝いに行きます。
でももともと口うるさく、話の長い母の話は聞きませんでした。

すると義理の母は姉に愚痴るようになりました。
いくらあまり好きではない相手でも、人のいい姉はいやだと断ることもなく、ひたすら
「そんなことないですよ」
「元気出して下さい」と返していたようです。
私のところには「心からそんなこと思ってない」と言っていましたが、きちんと義理の母の声を受け止めているのだと思います。

うつ病にはいろいろなタイプがあると聞きます。
姉の義理の母は常にネガティブな感情に支配されているようです。
「私なんていない方がいい」
「早く楽になればいい」
他人の私から聞けば、なんて自分勝手な!っと一喝したいところですが、身内で毎日こんな話を聞いていたらどんな気もちでしょう。

姉の旦那さんがもっと話を聞いてくれる人ならもう少し姉の負担も減るのではないかと思いますが、今、話相手の重い負担は姉が一身に背負っています。

もちろん薬も服用しているようです。
それも劇的な効果はないようです。

気分転換に出掛ければいいのでしょうか?
元々悪くした足もよくならず、出掛けることも億劫なようです。
もともと家事もあまりしなかった人なので、散らかった家の中にいるのはきっと良くないのでしょう。
でもうつ病を発症して以来、家の中はますます散らかっているようです。
しかしこれ以上、姉に負担をかけるには重荷すぎると思います。

兄は出来たら両親を同居をしたいようです。
しかし姉の姿を見ている二人の子供は反対しているそうです。
子どもも行くたびにネガティブなことを聞かれれ、相当参っているようです。

これから先、解決策はあるのでしょうか。
今の症状では入院などはないようです。
どのような状態まで行ったら入院出来るのでしょうか。

以前、うつ病をテーマにした映画を見たことがあります。
この映画の中では旦那さんがうつ病を発症し、それに振り回される妻。
でも探り探りのなかでも、うつ病と上手に共存していこうと言う話の内容でした。

案外平和なのかも。
観終わった後、私はうつ病に対してそんな感想を持ったのを覚えています。

でも、今の姉の現状を見ると、けっして平和なものではありません。
いつ姉がおかしくなるやもしれない漠然とした不安が私にはあります。
手を差し伸べられない自分にも嫌気が刺します。

同じような悩みを抱えている家庭は、他にもたくさんあるのではないでしょうか。
どうやってこの病気と向き合っていけばいいのか、本人は、家族はどうしていけばいいのか。
もっと身近にそれらを教え、助けてくれる場所が出来てくれるのを祈るばかりです。”

うつ病と仕事の関係性

“私は現在28歳の専業主婦です。
高校を卒業して、都会に憧れて就職で地元を離れました。
離れたと言っても車で2時間程度の場所でした。
初めての一人暮らしでわくわくしながら、新社会人を楽しんでいました。
会社の人たちもみんな良くしてくれて、楽しい毎日を過ごしていました。
仕事柄、重たいものを持つことが多く、最終的には腰を悪くして仕事に支障が出るくらいになっていました。
若かった私は《早く治そう》と言う気持ちよりも《辞めれば楽になれる》と言う気持ちが勝って仕事を退職してしまいました。
そこから腰に負担がかからないであろう仕事を探してフリーターとして働いていましたが、家賃・光熱費等でほとんどお金が手元に残らず、
食事をほとんど摂らない生活になっていました。
その状態で体がもつわけもなく、結局倒れてしまい地元に帰ることを決めました。
地元に帰ってゆっくり仕事を探していると、とある有名工場の求人を見つけました。
給料もそこそこ良くて、家からも近くだからという理由で面接を受けました。
工場長が私の出身高校の先輩だったこともあり、採用していただくことができました。
その工場には同じ中学だった友達も勤めていたし、同じ年齢の女の子も何人かいたのですぐに慣れました。
仕事もすぐ覚えて一人で任される事も増えてきたのですが、なぜか毎日気分がすぐれませんでした。
毎日毎日同じ作業をして、大きな音が響き、工場内も明るくはなく少し暗くて嫌な気持ちが大きくなってきていましたが、
お昼休みに同じ歳の女の子たちと話すことによって少しは楽になれていました。
しかし、同じ部署の先輩方に話しかけられことが極端に嫌になり、好意で話しかけてくれているのでしょうがすごく嫌悪感でいっぱいになっていました。
普段から人と話ことが好きで、社交的だった私がなんでこんな風になっていっているんだろうと自分でも不思議でした。
そして毎日仕事場に来ると頭がガンガンして目眩もしてきました。
これが1カ月ほど続きましたが、《工場はうるさいから頭が痛いんだ》と思うようにしていました。
そんなある日、仕事中に怪我をしてしまいました。
先輩から「この機械は気をつけないと怪我するからね」と言われていたにも関わらず、自分の不注意で手を切ってしまいました。
思いのほか傷が深かったのか、なかなか血が止まらず焦ってしまいました。
《注意されていたのに手を切ってしまった!!怒られる!!》となぜか子供のような理由で、部署の誰にも言わずに総務課がある事務所に行き、
「絆創膏をください」と血まみれの手を隠しながら言いました。
総務課の方はすぐに気付き、手を洗ってくれて丁寧に絆創膏を貼ってくれました。
「病院に行くか」と言われたけれども、ばれたくなかった私は「絆創膏で大丈夫です」と言い、作業に戻りました。
戻るとみんなにばれていて、心配されたのですが、《私に関わらないで》と強く思ってしまいました。
怒られるという気持ちが強く残りすぎていたのでしょうか。
その後、毎朝仕事に行く前に作業服を着ると嘔吐するという日が何日か続きました。
頭痛もなかなか治らないので、病院に行くことを決意しました。
はじめは行きつけの内科に行き、症状を伝えました。
いろいろ検査をしてもらい、内科で出た結果は【起立性低血圧】でした。
寝た状態で血圧を測ると、上が90・下が50という普通でも低い数字でしたが、
立ち上がって再度測ると一気に、上が80・下が40までに下がってしまいました。
先生からは「少し安静にしていたほうがいいと思うよ」と言われました。
そして、頭痛に関しては「専門家に診てもらいなさい」と言われたので脳神経外科に行くことにしました。
MRを撮ってもらった結果、「脳自体はすごくきれいですよ。三半規管が生まれつき弱いかな」と言われました。
三半規管が弱いなら、うるさい工場で働くことは確かに頭痛につながりかねないなと思っていましたが、
先生から「眠れてる?」という質問が来たときに《そういえばあんまり眠れていないかも…》と思い、それを伝えました。
先生から「仕事は辞めたほうがいいと思う。今後の為にも。辞めようとは思わない?」と言われ、
親に負担をかけたくなかったから辞めようとは思わなかったけど、このまま仕事を続けても自分が壊れていくだけではないのかと思い、
「辞めたいです」と言ってしまっていました。
そして先生から薬を処方されたのですが、「うつ病の人と同じ薬。でも本格的なうつ病の人の1/12しか処方していないからきちんと飲んでね」と言われました。
《うつ病??私が??》
一瞬にして頭がパニックになりました。
そして家に帰り、親に病院での出来事を全て伝え、仕事も辞めたいと相談しました。
そして採用してくれた工場長と話し、すぐに退職しました。
工場長には本当に申し訳ないなと今でも思っています。
しかし、辞めて1週間ぐらいしたら頭痛が嘘のように消えて、よく眠れるようになりました。
もちろん嘔吐もしなくなりました。
その後は資格を取り、仕事を初めてうつ病だったことなんか忘れるぐらいに元気に生活しています。
工場は私には向いていなかったんだろうな…と思うようにしています。
でも人は強いようで弱い生き物なんだと思い知らされた時期でした。”

大学生の語学留学にともなったうつ症状について

“某女子大の私は、大学3年生の9月から4年生の5月までイギリスへ語学留学をしていました。そこで私が経験したのは現実逃避型の無自覚うつでした。精神科で診断を頂いたという訳ではありませんが、「うつ」ではないかと疑われる症状が、留学後に多数あらわれました。現在は休み休み授業に出席し、卒業を目指しています。「完治」と言えるのかどうか分からないところですが、とりあえずは日々の生活をきちんと送ることが出来ています。この文章の中では、私が体験した無自覚うつの原因、症状、そして自分なりの改善方法についてお話ししたいと思います。

始めに、私がうつになってしまった原因です。これはひとつだけではなく、複数の原因があると考えることが出来ると思います。1番の原因は留学のストレスです。留学中の授業は日本の大学の講義とは違い、自分の意見を常に発信することが求められます。授業内のディスカッションはいつも活発で、やる気のある生徒が多いのが特徴です。留学前にある程度の準備、勉強はしていきました。始めはやる気もあり、頑張れるのですが、毎回の授業のプレッシャーの中に晒され続けているうちに参ってしまい。次第に授業に足が向かなくなってしまいました。授業に出れなくなってしまうまでに追い詰められてしまったのには性格的な要因も大きく関わっています。私はもともと引っ込み思案な性格だったのですが、何か新しいことをやってみたいという気持ちは持っているという、大変天邪鬼な性格です。人前で話す事は苦手だけれど、本当は褒められたがりなのです。そして最もやっかいなのは、周囲に極端に合わせようとしてしまう性格です。要するに、周りの空気を異常に敏感になって読んでしまうのです。周りが自分をどう見ているか、他の人と同じように、あるいはより良く、優れているかなどが異常に気になってしまうのです。自分が出来ていると分かれば、満足できますが、そうでは無いとわかれば、自分が持つ限界以上に頑張ってしまうのです。留学において、周りには私以上に出来る人ばかりでした。今考えればそれは当たり前で、自分より年も社会経験も上、それに教育レベルや性格も全く違うのに、その人たちと同じになろうなんて、出来るわけがないのです。しかし私はそれに気がつかず、というより気づかないふりをしながら、自分の本当の気持ちを無視しながら頑張り過ぎていたのです。前半はそれで良かったのですが問題は留学後半でした。留学前半は留学生の多い語学学校での授業だったので、レベル的な差は小さいものでした。しかし留学後半には現地の学生も参加する大学の講義に入ると、授業のレベルは格段に上がり、ついて行くのが困難になりました。そこで私がとった行動が最悪の結果を生む事になってしまったのです。それは「部屋に引きこもる」ことでした。その時は気づかないようにしていたのであうが、知らず知らずのうちに寮のルームメイトとの交流を避けるようになりました。そして生活は昼夜逆転。皆が起きる頃に眠り、夜中はタブレットで動画を見るなどして、何も考えないよう考えないようにしていました。しかし、日本にいる家族や、同じ大学から来ている友人にその事を悟られたく無いと思った私は、授業に行かない理由を「自分が本当に取りたい授業ではない」「授業内容が面白く無い」「他にやりたい事を自分で学んでいる」などと嘘をついていました。嘘ではあるけれど、本当はそうありたいという、叶わぬ願望を口にする事で本当の自分とは異なる自分を作りだしていたのです。

本当の自分が露呈し始め、それと向き合わなければいけなくなったのは帰国後でした。帰国後の私は相変わらず留学中と同じような生活を続けていました。しかしそれを誰にも相談する事なく、日本の大学なら問題なく通えるだろうと考えていました。しかし自分が作り出した自分と本当の自分のギャップはそう簡単には埋める事が出来ませんでした。家族は昼夜逆転の生活やキレやすくなっている私の異常さに気づいていたようですが、私は全く聞く耳を持ちませんでした。その頃の症状としては、ご飯を食べる以外はずっとベッドで寝ており、勉強も趣味もやる気が起こらず、ネットでネガティヴな記事と自分の気持ちを勝手にリンクさせては落ち込んでいました。いわゆるネット依存症だったのです。対人恐怖症の症状もありました。自分から出かけようとする事はまずありませんが、家族に連れられて喫茶店へ行く事がありました。歩いている時も下を向き、注文さえままなりません。大学からのメールや同級生からのメールにも怯えるようになってしまっていました。留学によって染みついた「出来ない自分」というレッテルをずっと剥がす事が出来ずにいました。食欲も落ち、痩せもみられました。ひとつ理性的だったのは。自傷行為だけはしなかった事です。

改善方法としては規則正しい生活を、本当に信頼の置ける人と一緒に送る事であう。これは簡単そうでとても難しい事ですが、私には幸いにも理解のある家族や大学の先生方がいたので、順調に回復してきています。